Thinkers
Desperate War of Japan in the Pacific
This page contains Japanese charcters.
Thinkers interested to me
NamePeriodAgeBackgroundMarried
Buddha566-486BC80-Yes
Socrates470-399BC70BC404 surrenderYes
Plato427-347BC80-No
Aristotle384-322BC62-Yes
Chuang-tzu369-286BC83BC353 Zhao surrender
Origenes185-25369215 revolt occurred
Dougen1200-1253531221 Syoukyu no ran
Spinoza1632-1677451672 French invasionNo
Kant1724-1804 801760 Berlin was occupiedNo
Hegel1770-183161-
Kierkegaard1813-185542-
Nietzsche1844-1900561870 MedicNo
Freud1856-193983-Yes
Husserl1859-193879-
Bergson1859-194182-
Gandhi1869-1948791922-24 be arrestedYes
Nishida1870-194575-Yes
Russel1872-197098-4 times
Jung1875-196186WWI MO
Jaspers1883-196986-
Heidegger1889-197687Kansoku-taiYes
Niebuhr1892-197179-
Mao1893-197683Commander(抗日, Civil War)twice
Bell1919- --
Yamamoto1921-199170Artillery officer in WWIIYes
I was interested in philosophy when I was a student. I check whether my interested philosophers took part in war or not. I had read Ideal German thinkers' books too much. I should read medival western philosohers and Japanese thinkers. Socrates fought as soldier 3 times. Nietzsche volunteered in Franco-Prussian War. Gandhi organized medic in Boer War. Russel was in prison unwilling to be draft. Jung was MO in WWI, and a professor of ZTH in 1933. Heidegger was not drafted in WWI.

Syakamuni and Socrates did not write any book. Written words are dead and Breathed words are alive, they thought. Why western people could bring up dynamic art and beautiful music?

Heidegger; 'Sein und Zeit' 1927
The following includes Japanese characters.

  • 「存在」は最も一般的な,同時に最も空しい概念である,といわれています。 p2
  • 問うという存在可能性をもっているこの存在するものを,わたしたちは現存在[人間存在]という述語で表します。 p7
  • アリストテレスは,「プシケーは,或る意味では,存在者である」といっています。 p14
  • ギリシア人たちは,「事物」を表すのに適当な述語<プラグマタ>をもっていたのです。これは,ひとが配慮的交渉(プラクシス)のなかで相手とするものをいうのです。しかしギリシア人たちは,プラグマタ特有の「実用的」性格を,存在論的には不明瞭なままに放っておいて,これを「さしあたり」「単なる事物」と規定したのです。わたしたちは配慮の働きにおいて出会う存在するものを,道具と名づけます。 p68
  • 多くの道路,街路,橋梁,建物の中では,配慮の働きをつうじて自然が,一定の方向において,見出されています。屋根で覆われた駅のプラットホームは,風雨を考慮したのであり, p71

    Aristotle
    I bought a translated Aristotle's metaphysik in February 1974. I thank my parents. They allowed me to go a university. I am one of them who Japanese economy grew up and commons children knew Western classics. The translated book was published in 1959. When did Japanese people know Aristotle? A korobi bateren seems to introduce Aristotle's work for the first time in 17th century[1]. It is interesting to me that the introdction of Western concept was done into Japan by a Western missionary. After Meiji Restration, ordinary Japanese scholar stopped traditional Chinese and shifted Western languages. Translator 出隆 used Aristotle's Metaphysics by Ross in 1924. He refferred to アリストレス形而上学 published in 1942. There were readers to buy it, when Japan began the Pacific War.

    I remember a few scholarrs to lecture us philosophy in a university. One always referred something in Greek, and he had studied under Heidegger. Another spoke of Arabic philosophy, ahd he had studied at Cairo University. In those days, 吉本隆明 and 廣松渉 were boom among clever students. I gave up their works, because I could not understand their Japanese or terminology. Reading translated Aristotle's metaphysik now, I had to have readed a few classics to think. The book shows important words with pronouciation of Greek. We have to be careful about Chinese words ( 漢語 ), Japanese scholars always use jyukugo ( 熟語 ) written in kanji to show as their own idea. But some of them are borrowed or translated from Western concept.

    Alexander conquered Persia and Egypt. Greek people propagated their letters, maybe. Egyptian people began writing Coptic alphabet instead of pictorial letters. Did Persian people use to continue wage letters?[2] After all, Persians adopted a kind of Aram letter, Pahlavi[3]

    Kant ;'Grundlegung zur Metaphysik der Siten' 1785

  • 古代ギリシアの哲学は三通りに分かたれていた,即ち物理学,倫理学および論理学である。 p7
  • 自然の法則に関する学は物理学であり,また自由の法則に関する学は倫理学である。 p7
  • もし仕事が区分されずまた分業が行われないで,各人が各様に何でも屋をするとなると,どんな職業でも甚だしい未発達の状態にとどまるものである。 p9
  • 幸福という不確かな観念を圧倒し得ることは怪しむに足りない。例えば足の指痛風を患っている人が美味しいものを食べ,その代わりにどんな苦痛でも甘受するという道を選ぶことがある。 p27
  • 幸福は理性の理想ではなく想像力の理想であり,想像力の理想はまったく経験的根拠に基づくものである,しかも私達は,実に綿々として尽きるところを知らない夥しい結果の総体をそっくり実現するような好意が,いつかはかかる経験的根拠によって規定せられるだろうとはかない期待を懐いているところである。 p60
  • 「私は金に困っていると思うときには金を借り,またいつになってもかえせないことを承知しているにせよ,返済を約束しようと思う」。この自愛或いは私利の原理は,私のさきざきの十分な安泰とおそらくよく一致し得るだろう。 p66
  • この原理の実在性を人間的存在の特殊な性質から導来しょうなどと考えてはならぬということである。 p70
  • 彼が現在の煩わしい状態を免れようとして,みずから自分の生命を害するなら,それは彼が生を終えるまであまりみじめでない状態を保つために人格を単に手段としてのみ使用することになる。
  • 自由はアプリオリにしか証明され得ないからである p105
  • 意思の自由を説明することが主観的に不可能であることは,人間が道徳的法則に対して持ち得る関心を発見し,説明する不可能と同じである。 p125
    'Prolegomena' 1783, 'Kritik der reinen Vernunft' 1787

  •  Mao
    '抗日遊撃戦争的戦略問題' 1938, '在延安文芸座談会上的講話' 1942
  • 抗日戦争においては,正規戦争が主要であり,遊撃戦争は補助的である。 p.13
  • 抗日遊撃戦の役割はおもに,内線において正規軍の戦役作戦に呼応することにあるのではなく,外線において単独で作戦をおこなうことにある。 p14
  • 必要な通信機械をふやさなければならない。 p76
  • 労働者,農民の着ているものだと,きたなく感じて,袖をとおす気になれないのでした。 p.94
  • 周作人や張資平などの手合いがそれにあたりますが,これを漢奸(売国奴)の文学と呼びましょう。 p104-105
  • 階級性をおびた人間性のみが存在するのであって,超階級的人間性などというものは存在しません。 p145
  • 上海の屋根裏部屋から革命根拠地へやってきたということは,ただたんに二種類の地区のあいだを移動したというにとどまらず,二つの歴史的時代を経過したということなのです。p160


    Nishida ; 'Bergson no Tetsugaku teki Kenkyu' 1910, 'Zen no Kenkyu' 1911, 'Ninshiki-ron ni okeru Jyun-ronri-ha no Syucho ni tsuite' 1911, 'Ronri no Rikai to Suri no Rikai' 1912, 'Syusyu no Sekai' 'Torinokosaretaru Ishiki no Mondai' 1926, 'Eichi teki Sekai' 1928, 'Genjitsu no Sekai no Rori teki Kouzou' 'Koui teki Cyokan' 'Jinshin no Giwaku', 'Kokoro no Uchi to Soto' 1916, 'Nihon teki to iu koto ni tsuite', 'Watashi no Ronri ni tsuite' 1945

  •  Nietzche
    The Japanese people like Nietzche. I am surprised that some books about him are published in Japan even now. Although I did not understand his words at all at first, I understood them through Heidegger's 'Sein und Zeit'.

    Nietzche often referred to 'Geist'(精神). We imported the word and preferred it, saying 精神病,精神文化(spirit of culture),ドイツ精神,特攻精神(suicide attack spirit) etc since Meiji era. I understood it through Hegel's usage. Googles hits 40 million searching 精神 in Japanese, 113 million in Chinese and 13 million in Taiwanese,while spirit his 197 million in English.
    Tetsugaku no gekijyou

    'Ecce Homo' 1888

  • およそ存在するものであるかぎり,何一つ排除してよいものはなく,何一つ無用なものはない p97
  • キリスト教はルサンチマンの精神から生まれたものであって,一般に信じられているように「精霊」からうまれたものではない p161
  • わたしがはじめて,「真理」をはかる尺度を手に入れたのだ。 p164
  • ドイツ人のいわゆる「解放戦争」によって,このナポレオンという存在のもつ意味,その奇跡的な意味をヨーロッパから消滅させてしまったのだ。 p172
  • わたしの真理は恐ろしい。 p180
  • 善い者たちは,創造の力をもたないのだ。かれらはいつも終末の開始である。 p186
  • 正の反対概念として発明された「神」という概念 p193

    'Also sprach Zarathustra' 1885-1887

  • 見よ,わたしはきみたちに超人を教える。超人はこの電光なのだ,超人はこの狂気なのだ。上p25
  • 人間の現存在は無気味であり,依然として無意味である。
  • Zarathustra は,このように自分の心に向かって言い終わると,死体を自分の背に負って,出発した。上p38
  • Zarathustra が自分の心に向かってこのように語り終わったとき,正午の太陽が真南にあった。そのとき彼は不審そうに高みを見やった — ヘビはワシのくびに巻きついていたからである。 上p45
  • こんなふうに自分自身を悩む者にとっては,早く死ぬこと以外に,救済はない。 上p73
  • かつて精神は神であった。次いで精神は人間になった。上p78
  • Zarathustra は地上に善悪より大きな権力を見出さなかった。上p116
  • 分割された不正は半ば正義である。 上137
  • 決して然るべき時に生きない者が,いったいどうして然るべき時に死ぬことができようか? 上p144
  • それを認識のヘビが取り巻いているのだ。 上p154
  • こうして,彼らは精神の靴下を製造するのだ。 上p259
  • ニーチェは「華やかな知恵」の中の一つの断章で,毒杯を仰いだソクラテスの最後の言葉「クリトンよ,医神アスクレピオスに鶏を捧げてくれ!」を解釈して言う。この偉大な哲人は,「生が病患である」ことを察知していた。下 p337
    'Die Geburt der Tragodie' 1872,

  •  Russel
    'The Problems of Philosophy' 1912
    I had read the book a long time ago, when I was a student in Tokyo. Russel explained samples of logic principle.
    1. Dou itsu ritsu : Arumono wa aru
    2. Mujyun ritsu : Ikanaru mono mo ari katsu aranu koto wa fukano de aru
    3. Haichur ritsu : Ikanaru mono mo aruka aranuka de aru
    These were rules that I learned set of mathematics in a high school like them. I remember that the teacher did not comment anything about them. If the teacher told something about ontology, the principle looked great among us. Why did Japan ignore to learn logics in high school? Once mathematics was a part of philoshophy in the Western world. Chinese civilization had no concept of liberal arts at all. Japanese civilization had a bud of this concept like wasan, hakubutsugaku and igaku. But Meiji leaders blew out it and went foward to 和魂洋才 intenionally. After all Japan absrobed the appearance of technology and law etc in Western civilizaion. The most important was the Western paradigm that Meiji leaders ignored.
    1. A = A
    2. A ≠ not (A)
    3. A and (not (A)) = φ
  • たとえばある人間の本性は,かれの記憶やほかの知識,愛や憎しみ等々によって作り上げられるのですから,かれが知っていたり愛したり憎んだりする対象がなければかれであるところのものではありえない,ということになります。かれは本質的にまた明白に断片です。実在の全体と考えられれば自己矛盾的になることでしょう。 p147
  • また事物との見知りは,事物についてのある命題を知ることにはいつも含まれていますが,右の意味での「本性」の知識は含まれていません。そこで,(1)事物との見知りは,論理的にはその事物の関係に関する知識は含まれませんし,(2)その関係のあるものについての知識は,その関係のすべてについての知識を含みません。 p147
  • また,現実の生活においてすら,心の財貨は肉体のそれと少なくとも同じくらい重要です。 p156
  • ニュートンの偉大な業績は「自然哲学の数学的原理」と呼ばれました。 p156
  • 実際,哲学の価値は大部分その不確実性に求めるべきものです。哲学と無縁なものは,常識に由来したり,年齢または国籍による習慣的信仰からきたり,かれの慎重な理性の協力または同意をえないままに心中成長した確信から出てきたりする偏見に捉えわれて生涯を送ります。このような人には,世界は確定的で有限で,わかりきったものになりやすいものです。ありふれた事物は問題を提起せず,不慣れな可能性は軽蔑的に拒否されます。 p160
  • 知識の獲得はすべて自我の拡大ですが,この拡大は直接求めないときにもっともよく達成されます。 p160
  • 人間は万物の尺度であり,真理は人間によって作られ,空間時間および普遍の世界は心の諸性質で,心によって創り出されないものがもしありとすればそれは不可知かつ無意味だ,と教えるような見方を迎える哲学的傾向が広まっています。 p161
  • 自由な知性は,がみるように事物を見ます。 p161
  • この合一が心の最高善を作るものなのです。 p163
    'A History of Western Philosophy' 1945

  •  Spinoza
    'Ethica'
  • 人間の共同社会に役立つもの或いは人間を和合して生活するようにさせるものは有益である。これに反して国家の中に不和をもたらすものは悪である。 p55
  • 快活は過度になり得ず,常に善である。反対に憂鬱は常に悪である。 p.56
  • 希望及び恐怖の感情はそれ自体では善であり得ない。 p.61
  • 謙遜は徳ではない。即ち理性からは生じない。 p66
  • 或行為を後悔する者は二重に不幸或いは無能力である。 p67
  • 最大の高慢あるいは最大の自卑は自己に関する最大の無知である。 p68
  • 自由の人は何に就いてよりも死に就いて思惟することが最も少ない。そして彼の智慧は死についての省察でなくして生についての省察である。 p82
  • 私は自然に対して美も醜も,秩序も混乱も認めていないということです。 p.170
  • 私は人間の精神を或る無限な知性の一部分であると主張します。 p.173

    往復書簡集

  • 物質の一部が滅びるということがあれば,同時に全延長もまた滅びる p25
  • 神を自然から離して考えていないことです。 p41
  • 実体の諸状態を実体自身から分離してこれを種類に分かつということから数という概念が生じます。 p.64

  •  Buddha
    Sutra-nipata
    Sutra-nipata is the oldest Buddha's codex. But Chinese scholars were not interested in it. Only chapter 4 was conatined in 大蔵経. 支謙 translated into Chinese during 253 to 223BC. 支謙 was from India and came to China. So Japanese scholars did not know it and knew from English translation. Japan learned Buddhism from China, so they read codex for a long time in Chinese. After Meiji Restoration, New Japanese schlars of Buddhism were to read the codex in Western lauguages.
    422 (釈尊がいった),「王よ,あちらの雪山(ヒマラヤ)の中腹に,一つの民族がいます。昔からコーサラ国の住民であり,富と勇気を具えています。
    423 姓に関しては<<太陽の裔>>といい,種族に関しては<<サーキヤ族>>(釈迦族)といいます。王よ,わたしはその家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。
    593 たとえば家に火がついているのを水が消し止めるように,そのように智慧ある聡明な賢者,善き人は,憂いが起こったのを速やかに滅してしまう。あたかも風が綿が吹き払うように
    757 或るものを,ああだろう,こうだろう,と考えても,そのものはそれとは異なったものとなる。何となれば,その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。
    761 自己の身体を断滅することが,「安楽」である,と諸々の聖者は見る。(正しく)見る人々のこの(考え)は,一切の世間の人々と正反対である。

    Meriyasu-gyou no sangyou-ka
    Timeline of clothing and textiles technology

     Freud: 'Der Mann Moses und die monotheistische Religion' 1939
  • それゆえに他界の支配者たる死の神オシリスは,エジプトの神々のなかでもっとも大衆に信じられた不動の存在だった。これと反対に,古代ユダヤ教は不死ということを完全に断念していて,死後の存在が持続する可能性などどこでもいつ何時でも述べられたためしがない。これを考えると,その後の歴史が教えてくれるわけだが,彼岸への信仰が一神教のひとつときちんと調和している事実は,なんとも奇妙としか言いようがない。 p24-25
  • この帝国主義が宗教においては普遍主義と一神教として現れるようになった。 p27
  • 王国全域で神殿寺院が閉鎖され,礼拝が厳禁され,その財産や所有地は没収された。いや,そればかりか,この王の熱情は実に激しいものであって,彼は古い記念碑を調査させ,そこに「神」という言葉が複数形で使われていると,これらを削除させたほどであった。 p30-31
  • ヤハウェはまちがいなく火の神であった。(省略) それゆえ,ヤハウェの居所と考えられていたシナイ・ホレプはこれらの火山群のなかのひとつの山であたに相違あるまい。(省略) この神は,夜中にうろつきまわり太陽の光を嫌う,不気味な血に飢えた悪魔なのだ。p48
  • ゼリンは預言者ホセア(紀元前八世紀後半)の言葉のなかに,宗教創設者モーセが反抗的で強欲なユダヤの民の反乱によって暴力的に殺害された,との内容を告げる紛れもない伝承のしるしを見出したのだ。p52
      Ed ゼリン「モーセ,イスラエルユダヤ宗教史にとっての彼の意義」1922年
  • 私は,モーセの破滅とカデシュにおける宗教創設のあいだには,二世代,それどころかおそらくは一世紀の時間が経過したということを,とりあえず仮説として提出する。p56
  • エジプト脱出からエスラとネヘミアのもとでの聖書文章確定までおおよそ八〇〇年の歳月が流れている—ヤハウェ教が過去に遡ってつくられ,根源的なモーセ教と調和し合うようにされ,おそらくはモーセ教と同一のものとされた事実と軌を一にしている。p69
  • しかしながら,温和なエジプト人がファラオという聖化された人物を運命の手に委ねたのに対し,荒々しいセム人は運命をおのれの手に入れ,独裁者を片づけてしまった。p70
  • 伝承のなかの痕跡からゼリンによって解読され,奇妙なことに若きゲーテによって一切の論証抜きで受け容れられたユダヤの民によるモーセ殺害は,それゆえ,われわれの構築の不可欠の要因になるのであり,忘却された太古の事件と一神教のかたちをとった宗教の後世の再出現とを結ぶ重要な紐帯となる。
      「荒野のイスラエル」第七巻 p170, 「金枝篇」第三巻 瀕死の神
  • ゼリンに従うならば,モーセ殺害の伝承は祭司仲間のなかにずっと存在し続け,最終的にこの伝承は文書となったということになるのだが,ゼリンにこの伝承の真実性を推測させたのはこの文書だけだった。p141
  • すなわちイギリス人は,もしも彼が指一本でも触れられるならば彼の「政府」が戦艦を派遣してくるのだろうと,そして反逆者も自分たちの小国がそもそも戦艦など持っていないのを承知しているだろうと,計算済みなのである。p168-169
  • ティトゥスによってエルサレムの寺院が破壊されると,ただちに,ヨハナン・ベン・ザッカイはヤブネに最初の律法学校を開くよう申し出て許可された。p172
  • 割礼は,かつて完璧な権力を有していた原父が息子たちすべてに課した去勢の象徴的な代理なのであり,この象徴を受け入れた者は,それによって,仮に原父がその者に辛い犠牲を強いたとしても原父の意志に服従する覚悟ができているという態度を表明したのであった。p182
  • ロバートソンスミスの言うトーテム饗宴とキリスト教における聖体拝受との符号に関しては私より前の多くの研究者が注目してきた。p196
  • この罪の意識は,その理由が誰にも分からない重苦しい不快感となり破滅の予感となって,あらゆる地中海沿岸の民族の心を襲い占領してしまった。p202
  • この名づけえない犯罪は,もともとは影のように空虚なものであった原罪という名の受容によって埋め合わされることとなった。p203
  • 神を殺したとの告白は,ありとあらゆる歪曲がくわえられいるにせよ,進歩を秘めているのだが,この進歩を共にすることがユダヤ人にはどうして不可能であったのか,これは特殊な研究の対象になるだろう。p204-205

  •  Jung
    Jung expressed his thought about Job in the Bible ( Antwort auf Hiob, 1952). He proclaimed that God wanted to be Man. While Japanese people thought some men became gods.
  • とくにマリアの幻視を見た者が多くのばあい子供であったということは,かんがえてみるに値する事実であった。なぜならこのような場合にはつねに集合的無意識が働いているからである。p144
  • 「マリア被昇天」が教義化されたことによってプレローマにおける聖婚が暗示され,それはまたすでに述べたように未来における神の子の誕生を意味しており,その神の子は受肉を求める神の傾向に応じて現実の人間を誕生の場として選ぶであろう。この天上の出来事は無意識心理学には個性化過程として知られている。この過程は普通は無意識のうちに進み,これまでつねにそうなってきたというかぎりでは,どんぐりがかしわの木になり,子牛が母牛になり,子供が大人になるという以上のことを意味しているわけではない。[4] しかし個性化過程が意識的になされるとなると,そのためには意識が無意識と対決し,対立する両者のあいだに平衡が発見されなければならない。これは論理的には不可能であるため,対立物の非合理的な結号を可能にするシンボルに頼ることになる。シンボルは無意識から自発的にもたらされ,意識によって増幅される。この過程の中心的シンボルは自己を,すなわち人間の全体性を,描き出している。この自己は一方では彼に意識されるものから,他方では無意識の内容から成り立っている。自己とは「十全な人間」であり,そのシンボルは神の子,ないしそれと同義のものである。ここでは概略のみを述べたこの過程は現代人においていつでも見られるものであり,またそれは中世のヘルメス哲学の記録の中にも読み取ることが出来る。無意識の心理学と錬金術の両方を知ることができれば,両者のシンボルの類似に驚かされることであろう。p151-152
  • われわれの行き方は原始キリスト教徒ヨハネのそれとはまるで違っているので,われわれの場合には悪ばかりでなく,ありとあらゆる善もまた,とくに愛に関して,浸入してくることがありうるのである。それゆえヨハネのようなきわめて純粋な破壊欲は,重い精神病か憑依した犯罪者を除けば見られない。宗教改革における精神的分化と,とくに科学(これはそもそも堕天使からおしえられたものである)の発達のおかげで,われわれはすでに相当に暗闇と混じり合っており,初期の聖人(いや後の聖人でさえ)の清潔さにはとてもかなわない。われわれが相対的に黒いということは,もちろんわれわれを益するものではない。それはなるほど悪の力のショックを和らげてくれるが,しかしそのために他方では悪に染まりやすく,相対的に抵抗力がなくなるのである。それゆえわれわれはさらに多くの光と善と道徳的な力を必要としており,健康に悪い暗闇を,やってゆけるかぎり,洗い流さなければならない。さもないと,人間になろうとしと欲している暗黒の神を受け入れ,かつそれに耐えていきながら,しかも破滅しないでいることはできないのである。そのためにはあらゆるキリスト教的な徳だけでなく—なぜなら問題は道徳だけでないから—,すでにヨブが求めていた「知恵」もまた必要である。しかし知恵は当時まだヤーヴェには隠されていた,あるいは彼によってまだ思い出されていなかった。「未知の」父と「知恵」とから,より高い完全な人間が生まれた。それはわれわれの意識を越えた全体性であり,「永遠の少年」—「白にも黒にもどちらにも見える」—の姿を取っている。この少年へとファウストは変態をとげ,悪魔を外にのみ見る高慢な一面性から脱却しなければならなかった。このことを見越してキリストは「あなたがたが子供のようにならなければ。。。。。。」と言うのである。子供の中では対立物が寄り集まっている,すなわちこの少年は成熟した大人から生まれたのであり,人がそのままでいたいと思う無意識的な子供ではない。このことを見越してキリストは,先に述べたように,悪の徳という原理を暗示したのである。p138-140
    Jung ; 'Man and his symbols' 1964
  •  Yamamoto Arahitogami no shoshishatachi
    Yamamoto was a POW in Philippines in the Pacific War. After the war, he thought how Japanese people's rule or spirit were different from Semitism or Chinese Chu Hsi's politics comparing with their rules. He was a Christian. He found that the origin of Imperial Japan (皇国) was in the thoughts of Tokugawa clan's governers and a few ronin's intellectuals. I think that Hirohito was an arahitogami because he did not resign his throne after the Pacific War. Although Japanese consitution regulates Mikado's enrollment in the law, it will be the same of 公家諸法度 that Ieyasu published in Edo era. After all, Mikado is superior of any written laws even now. Bureaucrats and mass media make use of Mikadao to contorl Japanese people, as Meiji era. Bureaucrats and law makers can ignore Japanese people's consent of election owning to Japanese naturla law and Mikado system. We should remember of 1930s. Is Japan a true civilized democratic country? Akihito seems to be an arahitogami nowdays. I was very impressed at his message on the big tsunami on 11 March 2011. Its message soothed Japanese mind better than Prime Minister Kan, I think. The message is the same of ofuda in shrines. It gives a relief on Japanese people's mind. It means that Mikado effects Japanese people as Meiji era. Mikado prays for his nation everyday. Why does not Mr. Kan's speech soothe Japanese people, though he has a religeous mind to be a pilgrimage?

  • 前記の社説は次のように記している「....憲法が戦争を放棄し,戦力の保持を禁じていても,自衛権の行使は自然法に基づく国の普遍的な義務である」と。この言葉はさまざまな問題を含む。まず日本の基本法には「憲法」と「自然法」の二つがあり,憲法で否定されていても自然法でみとめられるものは合法的であるということになる。となれば,憲法よりも自然法が優先し,また憲法自体が自然法に違反しているということになる。このことは,逆に憲法で許されていても,自然法に抵触するものは非合法ということにもなる。では一体,この自然法に適合しているか否かをだれが判定するのか。違憲律法審査権は最高裁がもつなら,「違自然法律法審査権」はだれがもっているのか。そしてそこで「違自然法」と判定されれば,憲法の条項自体も否定できることになるが,もしそうならそれは「超憲法的」絶対的法である。さらに,この自然法なるものはその内容が明確でないから,それに基づく審査権は,立法権に等しいものになってしまう。ではその立法権に等しいものをだれがもつのか。この社説を見ると,それを新聞がもっているかの如き観が有る。p10-11
  • これは朱子学でも同じで,今の時点でこれを見れば,はじめて外夷に屈して朝貢しなければならなくなった南宋に生じた,超国家主義的・中国絶対的な国民思想とも見ることができる。p123
  • またこれを終戦の翌々日の,宮城前の慟哭の嵐と,これに心底から感動している朝日新聞の記事を対比するとさらに興味深い。「靖献遺言」の”感情的な面”は昭和二十年までは生きていた。
  • 「政治」とは彼らにとって宗教であり,絶対的な対象であり,同時に救済の手段であった。それはもちろん,基本は聖書の世界とは違うが,しかし,表に現れた現象だけを見ていくと,不思議な類似点があることは否定できない。彼らには宗教的な意味の「殉教」はないが,政治的な意味の「殉教」はある。これを「政治的殉教」と定義するなら,これと対比しうるものは,聖書の宗教すなわちユダヤ教とキリスト教にしか求め得ないであろう。p155
  • 「列王紀」の表現を借りれば「彼は,聖賢の示した道の前に悪を行った」のである。その一事のゆえに,彼を絶対に拒否し,嬲り殺しにされても彼をみとめようとしない人がいた。この背後には,政権以上の「ある絶対性」とそれに基づく個人の絶対的規範がある。そしてその基にとなっているのは,前述の劉因と同じような考え方である。すなわち「天地未生の時より既壊の時まで」いわば「創造より終末まで」それを貫く一つの絶対的基準があり,それが「義」であって,人はその「義」を絶対的規範として生きる,これが劉因にとっては「生きる」ということであり,その規範を破ることが死であった。p157
  • 「死して以って悠久の大儀に生きる」戦争中東条首相はそんなことを言った。だが彼は,方孝孺のことも「靖献遺言」のことも知らなかったであろう。そしてこの言葉の意味は,言った方にも言われた方にも,具体的には,何のことやらわからなかったであろう。私自身も,何の意味やらわからなかった。それでいて,人びとはこの言葉に何となく抵抗できなかったのである。前にも記したが,—いやこのことは何度でも言おう—それは明治が「靖献遺言」を消し,何がゆえにこの言葉に拘束されるのか,言う方も言われる方もわからなくなり,そのため意味不明の呪縛となったからである。「消す」これくらい恐ろしいことはない。それなのに戦後はまた,戦前を「消す」ことではじめている。p157
  • 徳川時代の儒学と称するものが,礼楽すなわち組織論抜きの儒学という,まことに奇妙な「骨抜き」された産物であったことは否定できない。闇斎は朱子の正統論を論理的に極限までつめ,絅斎はその正統性の絶対化に基をおく個人の絶対的規範を樹立した。これは確かに日本人を変革させ,維新という革命の契機となり得た。しかし,そこには,この絶対化された正統性と個人の規範との間をつなぐ組織論はなかった。もしここに組織論をもってくるなら,その規範を体得している人間を「士」として選抜して,それが統治者階級となって天下を治めるために,どのような組織が必要かが論じられれねばならぬはずであった。いわば日本における「科挙の制」論がなければおかしいのである。だが儒学々々といいつつ実質的にはその議論はなく,もちろん,その制はなかった。p175
  • この点中国人は「義」が絶対であっても「皇帝」が絶対ではない。p187
  • 宗教改革者ルターは,旧約聖書の詩篇を範として賛美歌をつくり,クロムウェルの清教徒軍はこれを軍歌とした。p206
  • これは朱子の正統論から見れば,真に正統性を主張しうるのは日本の天皇だけだという闇斎の論証,「中朝事実」的発想から見れば,当然の帰結であろう。そしてこれが出で来たときに,異質の文化の中に生まれた異質の思想が,他国に移転してイデオロギーとして機能しはじめ,中国にはない「現人神」を生み出していくのである。p207
  • 中国人は,ユダヤ人とは違った意味で,まことに不思議な民族だという気がする。「資治通鑑選」は全書の二十分の一を収めるにすぎないと言われるが,これを通読しただけで,どうしてこのような不思議な —少なくとも日本人から見れば— 民族とわれわれを「同文同種」などと言いうるのか,私にはその理由がわからない。p220
  • 歴史—すなわちある一点からはじめて,一直線に過去から未来へとつづく継続の中に自己を置いても,円環も回帰も輪廻も認めないという点では,旧約聖書の「列王紀(メラキーム)」と「資治通鑑」には共通の発想があり,同時に史的批判が一定の基準の下に行われているという点でも共通点がある。また面白いことに両者には共に「革命」という発想がある。だがそれでいて両者は全く違う。旧約聖書の革命は絶対者である神との契約の更改に基づく体制の変革であり,一方,中国の革命は体制の変革なき浄化である。だがそれが日本に来たとき,幕藩体制の変革という形で作用し,西欧の革命と似たものになったということは歴史の皮肉であろう。p220-221
  • この体制を維持するつもりなら「天下の力を挙げて武相(武蔵・相模)二州に当たること能わず」といわれた関東を絶対に保持しなければならない。観瀾はそのため遷都すべきであったと次のように言う。p350-351
  • この行き方もまた頼朝の逆であり,鎌倉幕府が人類最初の最も能率的また「安い政府」であったことはネールですら指摘している。 p352
  • もっとも後醍醐帝は日本で最初に紙幣を発行した天皇であるという”名誉”はあるかもしれない。p356
  • いずれにせよこのような思想は徐々に全日本に浸透していき,幕末ともなると至る所に「尊皇の志士」なるものが出てくる。前にも記したが(「日本教の社会学」講談社刊),武州血洗島の農民の子である渋沢栄一も,自分は天皇に直結していると感じ,領主も将軍も無視して尊皇運動に加わるのである。これは封建制の否定であり,中央集権的絶対主義を指向する。これは日本の近代化の決定的な要因であり,その意味では闇斎・絅斎以下が日本に与えた影響は忘れるべきではない。p360-361
  • また「なぜそのように現人神の創作者にこだわり,二十余年もそれを探し,『命がもたないよ』までそれをつづけようとするのか」と問われれば,私が三代目のキリスト教徒として,戦前・戦中と,もの心がついて以来,内心においても,また外面的にも,常に『現人神』を意識し,これと対決せざるを得なかったという単純な事実に基づく。p406
    Arahitogami no soushishatachi Showa 58 nen 0717

    Sonbou no jyouken
  • 彼らはその教育を,幼児から受けた。そして成人しても,安息日にまたその教育を受けた。この執拗ともいえる生涯教育は,一種の”草の根モーセ主義”といった形になり,これが伝統的な,民衆蜂起の勝利伝説と相まって異常な方向へ,一種,幻想的ともいえる方向へ彼らを導いていった。それは現代の日本の”平和憲法口伝”教育と似た一面がある。まことに一民族を滅ぼすものがあるとすれば,それは「教育」であって,それ以外にない。 p72
  • 権力の基盤を儒教的イデオロギーの絶対化に置く。そしてこれによって確立した絶対権力によって,西欧化を極力能率的に推進する,この矛盾した行き方が明治の基本的態度だったからである。明治はそのプラスの面が最も効率的に発揮された時期,一方昭和前期はその内包する矛盾があらゆる面でマイナスへ噴出した時期,大正が一種の短い両者の平衡的時期といえる。そしてこの矛盾は,象徴的に見るならば,「教育勅語=儒教的イデオロギー」と「明治憲法=西欧的制限君主制」という,相いれないものを共に絶対化して並存させていたという点に現れている。 p117
  • そしてこの勅語への”口伝”は修身として義務教育となり,井上哲次郎はじめ多くの人が「御謹解」を書き,ちょうど宮本委員長がいうように「これを訓古の学」として空洞化せず,その成果を現実に生かす形で,国民の全部を拘束してきた。そしてこうなった場合,明治憲法のうち,教育勅語”口伝”に違背すると見られる部分は,実質的に死文化されて不思議でない。井上哲次郎は,「勅語えん義」「教育と宗教の衝突」でキリスト教と教育勅語が相いれないことをはっきり記している。これを推し進めれば,明治憲法に最小限の保障を得ていた「信教の自由」すら,死文化できることはいうまでもない。(省略)論理的にどのようにつじつまを合わせた憲法をつくろうと,たとえばそれが戦後の新憲法と同じであろうと,それははじめから関係のないことである。 p120-121
  • 人と神との関係は「神人一体」でなく,対立関係である「契約」においていた。従って,旧約聖書で最も信仰深き者とされるヨブは,あくまでも神と言い争うものであって,日本的な意味の「絶対帰依」により自己を無にして対者と一体化しているわけではない。 p164
  • ナザレのイエスも,同じ質問を受けた。これに対する彼の返答は,一言でいえば,実に皮肉である。彼はその人にまず「お前が一人前の人間なら,自分のなすべきことぐらい知っているだろう」という意味のことを言った。相手は,知っており,全部やっていると答えた。イエスはそれに対して「では,財産を全部捨てて貧しい人に施し,無一物になって,自分の意思を一切棄却して私について来るがよい」と言った。一言でいえば「私の奴隷になるがよい」である。その人は去った。だがイエスは,「では,どうしろと言うのか」といった意味の質問をしなかった者には,こういう答え方をしていない。この答え方は当然であろう。少なくとも人に自由意志があり,その人にその人の判断があるなら,自分の責任で自分のに基づいて自分で決心し,自分で実行ししてそのは結果は自分が負えばよいだけのことで,他人に「どうしろと言うのか」という質問をする必要は一切ないはずである。 p186-187
  • というのは,人は,その人が,自らの内なる規定とそれに基づく規範に従って,ある問題に対して常にこのように対応するにきまっていると信じうるときに,はじめてその人なり,その国民なりを信じ,たとえどんな問題が起きても神経質にならないからである。 p196-197

    [1] Imai itaru-shi no isho mokuroku ni tsuiteno comment
    [2] アケメネスペルシャ楔形文字
    [3] パフラヴィー文字
    [4] 聖母の被昇天

    Ich liebe den, der uber sich selber hinaus schaffen will und so zu Grunde gehe. -Nietzsche-

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